
日本製紙・八代工場の煙突倒壊で9人死亡──長周期地震動が突いた「想定外」と、遅すぎた説明責任
先月28日の熊本地震で煙突が倒壊し、従業員ら9人が死亡した日本製紙は8月5日、瀬邊明社長が八代市内で記者会見を開き、遺族と関係者に謝罪しました。同社によると、八代工場にある5本の煙突のうち3本が損傷し、犠牲者はこのうち1本の倒壊に巻き込まれました。今後は外部の専門家を交えた事故調査委員会を設けて原因究明を進め、再発防止策を策定する方針ですが、工場再開の目処は立っていません。今回の地震では長周期地震動が観測されており、煙突の上部が大きく長く揺れたことで損壊した可能性が指摘されています。
長周期地震動は本当に怖いものです。通常の地震波と違い、ゆっくりと大きな振幅で構造物を揺さぶるため、免震・耐震の一般的な想定とは別の弱点を突いてきます。私自身、かつて新宿の超高層ビルの高層階で仕事をしていた時期に、この揺れを経験したことがあります。ビル全体が船のように大きくうねり、隣のビルが近づいてくるように見える。棚の上のものが軒並み飛んでしまうほどの揺れでした。煙突のような細長い構造物は、まさにこの種の揺れに弱い。八代工場の煙突には年代物も含まれていたと報じられており、事故調査委員会には、長周期地震動に対する既存インフラの脆弱性という観点から、産業界全体に適用できる知見を出してもらいたいと私は思います。
もう一点、私が指摘しておきたいのは情報開示のスピードです。トップによる初めての記者会見が地震発生から8日後というのは、9人もの犠牲者を出した企業の危機対応として遅いと言わざるを得ません。原因の確定には時間がかかるとしても、その時点で分かっていること、分かっていないこと、調査の体制をまず自ら説明し、社会の厳しい視線を正面から受け止める。それが危機時の経営の鉄則です。日本製紙ほどの企業にしては、この初動には問題があったと私は考えています。犠牲になられた方々には、心からお悔やみを申し上げます。
日米が円買い協調介入を正式発表──市場を知り尽くしたベッセント財務長官の「読み」
日米両政府は8月3日、7月31日の外国為替市場で円買い・ドル売りの協調介入を実施したと正式に発表しました。円買いの協調介入は1998年以来、実に28年ぶりのことです。財務省の片山大臣談話は、2025年9月の日米財務大臣共同声明に基づく介入であるとした上で、「今後、更なる協調介入を実施することも躊躇しない」と異例の踏み込んだ表現を用い、三村財務官は「日米通貨同盟の完成形」と意義を強調しました。円相場は7月下旬の1ドル163円台後半から一時155〜157円台まで円高が進んでいます。一方、財務省が7日公表した為替介入実績からは、政府・日銀がこの春の大型連休前後に計11兆7349億円もの単独介入を実施していたことが分かりました。
この対比が全てを物語っています。日本単独で11兆円を投じても相場はすぐ元に戻り、効果はほとんどなかった。ところが今回、米国が協調に加わった途端、市場の警戒感は一変しました。今回の相場の戻りが従来ほど明確でないのは、「次も日米が一緒に出てくる」という予告が効いているからです。介入の成否は金額ではなく、座組みで決まるということです。
では、なぜ米国が動いたのか。私はベッセント財務長官の経歴に注目しています。彼はジョージ・ソロス氏のファンドで通貨取引に携わってきた、市場の修羅場を知り尽くした人物です。そして彼自身がかねて語ってきたのが、「1997年のアジア通貨危機の引き金は円安だった」という持論です。アジア各国の通貨が事実上ドルや円との関係の中で運用されていた時代、急激な円安がアジア通貨への売り圧力に転化し、危機が連鎖した。その構造をヘッジファンドの側から見てきた人間だからこそ、今回の円安を放置すればアジア通貨、ひいてはドルと米国債市場にまで波が及ぶことを直感的に理解しているのだと私は見ています。日本が世界最大の米国債保有国であることも、米国側が円の急落を看過できない理由です。安全保障だ、半導体だという高尚な話ではなく、通貨危機の連鎖だけは避けたいという極めて実務的な判断でしょう。米中間選挙までは、この協調体制は維持されると私は見ています。
食料品の消費税、導入以来初の減税へ──「税率1%+給付」という着地の意味
政府は8月5日、食料品の消費税率を2027年4月から2年間、現行の8%から1%へ引き下げる基本方針を臨時閣議で決定しました。対象は酒類と外食を除く飲食料品で、残る1%分については中低所得者への現金給付を組み合わせ、負担を「実質ゼロ」とする設計です。1989年の消費税導入以来、税率の引き下げは初めてのことです。財源については国債には依存しないとする一方、具体策は年末の予算編成過程に持ち越されており、市場の信任を得られるかは不透明です。
まず押さえておくべきは、この決定の歴史的な重みです。消費税は導入と増税のたびに政権が倒れてきた「鬼門」であり、自民党の主流には、増税に政治生命を賭けてきた財務大臣経験者をはじめ、引き下げへの強い反対論がありました。それを高市首相は「選挙公約であり、連立の合意事項だ」という一点で押し切った。公約を盾にされれば異論の出しようがありません。この決定過程は、良くも悪くも現政権の「一強」ぶりを象徴しています。なお、ゼロでなく1%になったのは、ゼロ税率には非課税との区別などレジ・システムの大規模改修が必要で1年程度かかるのに対し、1%なら通常の税率変更として5〜6カ月で対応できるという実務上の理由です。私はかねてから、ゼロにこだわらず0.1%でも残せばシステム対応は容易になると指摘してきましたので、この着地自体は理解できます。
問題は財源です。食料品の消費税は税収規模が大きく、年間およそ5兆円、2年間で10兆円規模の穴をどこかで埋めなければなりません。「国債に依存しない」と宣言した以上、歳出削減か税外収入で捻出するしかない。米国側にも、税収減による日本の財政悪化が金利上昇を通じて自国に跳ね返ることへの警戒があると私は見ています。次のトピックで述べるように、私はこの財源問題にこそ、発想の転換が必要だと考えています。
GPIF、四半期で過去最高の運用益24兆円──この果実を「減税の財源」に使う発想があってよい
GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)は8月7日、2026年4〜6月期の運用収益が24兆895億円のプラスになったと発表しました。AIをめぐる成長期待から国内外の株価が上昇して運用益を押し上げ、四半期の収益額としては過去最高。収益率は8.2%で、6月末時点の運用資産額は317兆7596億円と初めて300兆円の大台に乗りました。内訳は外国株式が12兆2866億円、国内株式が10兆2753億円、外国債券が2兆3754億円のプラスで、国内債券のみ金利上昇により8478億円のマイナスです。
私たちの年金は、かつて国内債券中心の運用でしたが、今では内外の株式と債券に25%ずつ振り分ける国際分散投資に転換しています。その結果が320兆円規模の資産と、市場運用開始以来221兆円の累積収益です。年金財政の持続性という観点では、運用は十分に回る水準に達したと私は評価しています。
そこで私が提案したいのは、この運用果実の一部を、前述の消費減税の財源として活用する道です。もちろん年金積立金は年金給付のためのものであり、無断で流用してよいものではありません。しかし、320兆円の資産が長期的にどれだけの超過収益を生み、将来の給付に必要な水準をどれだけ上回るのかを国民にきちんと示した上で、「この範囲を国民生活の支援に充てさせてほしい」と正面から問う。2年間で10兆円という減税の規模は、24兆円という四半期収益に照らせば、検討に値する選択肢だと私は考えます。国債の増発は日銀のリスクをさらに膨らませるだけであり、使える財源の候補を聖域なく並べて議論すべき局面です。
非核三原則「堅持」の内実──「持ち込ませず」と「作らず」の建前を直視する
高市首相は8月6日、広島市での平和記念式典への参列後に記者会見し、非核三原則を「政策上の方針として堅持している」と述べ、政府方針に変更はないと説明しました。一方、将来にわたって堅持するかを問われたのに対しては「現時点では政策上の方針として堅持している」と述べるにとどめ、年末に予定される安保関連3文書の改定での書きぶりについては予断を差し控えるとしました。
私はこの議論について、まず歴史的な経緯を直視すべきだと考えています。非核三原則は佐藤栄作政権の沖縄返還交渉の中で生まれた「持たず、作らず、持ち込ませず」の3本柱ですが、このうち「持ち込ませず」については、米軍の核搭載艦船の寄港・通過を事実上黙認する日米間の了解があったことが、ライシャワー元駐日大使の証言や、2010年に外務省の有識者委員会が「広義の密約」と認定した調査などで裏付けられています。核の持ち込みは日米の事前協議事項とされながら、米側から協議の申し入れが一度もないことをもって「持ち込みはない」と説明してきたのが、国会答弁の論理でした。ハワイやサンディエゴを核搭載で出港した艦船が、日本に入る時だけ核を降ろすことは物理的に考えられません。「持ち込ませず」は、少なくとも歴史的には貫かれてこなかったというのが私の理解です。
「作らず」についても、実態を知っておくべきです。日本は高速増殖炉やプルサーマルという「大義名分」の下でプルトニウムの保有を続けており、その量は長崎型原爆に単純換算すれば数千発分に相当するとも指摘されます。国際的には、日本は90日程度で核兵器を製造しうる「ニュークリア・レディ(核即応)」の国と見なされてきました。中曽根元首相がこのポジションの維持を重視していたことは、よく知られた話です。私自身、1970年代にMITで原子力工学の博士号を取得した人間として、この分野の技術的な現実は骨身に沁みて理解しています。核の基本設計に関する情報が広く知られるようになった今、「作らず」を担保しているのは技術的な壁ではなく、日本の政治的意思だけです。
誤解のないように言えば、私は日本の核武装を主張しているのではありません。「使わず」は今後も守られるでしょうし、守るべきです。私が問題にしているのは、実態と乖離した看板を「堅持している」と唱え続けることが、もはや思考停止の念仏になっているという点です。安保3文書の改定を控える今こそ、何が建前で何が実態なのかを国民に示した上で、日本の安全保障をどう設計するかを正面から議論すべきだと私は思います。
SKハイニックス、純利益が売上高を超える異例の決算──利益の源泉は「キオクシアの果実」
韓国の半導体大手SKハイニックスが発表した2026年4〜6月期の連結決算は、売上高が前年同期比3.6倍の約8兆9300億円、純利益が13.4倍の約10兆5600億円となり、いずれも四半期ベースで過去最高となりました。AIサーバー向け高性能メモリー「HBM」の販売好調に加え、投資資産の評価益が押し上げたもので、純利益が売上高を上回るという極めて異例の決算です。ただし売上高が市場予想に届かず、株価は乱高下しました。
純利益が売上を超える。普通の事業会社ではあり得ない数字のからくりは、キオクシアホールディングスの株式です。SKハイニックスは2018年、ベインキャピタルが組成した東芝メモリ(現キオクシア)買収コンソーシアムに参画しました。以来、キオクシア株が今年、時価総額日本一になるまで急騰したことで、SKハイニックスは巨額の評価益を計上することになった。本業のHBMで稼ぎながら、投資先の値上がりが利益をさらに倍加させた構図で、その規模は主導したベインキャピタルの利益をも上回るとみられます。買い戻した持分を保有する東芝にも恩恵が及んでいます。
私が面白いと思うのは、この利益が「売らなかったこと」の産物だという点です。ファンドであるベインは本来もっと早く持分を売却したかったはずですが、SKハイニックスが第三者への売却に同意せず、結果として全員が上場後の急騰まで持ち続けることになった。前々回に取り上げたキオクシア従業員のストックオプションの件と合わせて見れば、2018年のあの買収スキームは、ファンド、事業会社、従業員のすべてに巨額の果実をもたらした稀有な事例になりました。半導体という長い時間軸の産業では、「降りない」ことこそが最大の投資戦略になりうる。日本企業の出資判断にとっても示唆に富む決算だと私は思います。
セブン&アイ、ポーランド「ジャプカ」買収で競り負け──M&Aの成否を分ける「相性」という変数
カナダのコンビニ大手アリマンタシォン・クシュタールは7月31日、ポーランドのコンビニ最大手ジャプカ・グループを企業価値約87億ドル(1.3兆円超)で買収すると発表しました。1株32ズロチでのTOBに、CVCキャピタルなど株式の約57%を保有する主要株主が応じることに同意しており、ジャプカの経営陣も支持しています。ジャプカを巡ってはセブン&アイ・ホールディングスが出資する方向で協議していましたが、7月25日に「ステークホルダーの最善の利益に資する条件で合意できなかった」として見送りを発表した直後の決着でした。クシュタールはかつてセブン&アイ自身に買収を提案し、2025年に撤回した経緯のある「因縁の相手」です。
ジャプカはポーランドとルーマニアで約1万3000店を展開し、ポーランド国内では住宅から平均500メートル圏内に店舗があるという、まさに「欧州のセブンイレブン」的な存在です。欧州を北米、日本に次ぐ柱に育てたいセブン&アイにとって、これ以上ない足がかりだっただけに、条件面で折り合えず競り負けたのは痛い。統合後のクシュタールは店舗網の約6割が欧州となり、攻守が入れ替わった形です。
私は、この勝敗を分けた要因の一つに、交渉における文化的・人的な親和性があったのではないかと見ています。カナダは歴史的にポーランドからの移民が多い国で、米国中西部と並んでポーランド系コミュニティが厚い。ポーランド語を解し、現地の商習慣や心情を理解する人材を交渉の前面に立てられる企業と、そうでない企業とでは、同じ条件を提示しても相手の受け止めは違ってきます。M&Aは最後は人と人との信頼の話であり、価格だけでは決まりません。日本企業が海外買収で競り負ける時、敗因を「価格差」だけで総括してしまうと、この見えない変数を見落とします。相手国に根ざした人材を交渉団に組み込む力も、グローバルM&Aの実力のうちだと私は思います。
セイコーの価格戦略転換──「コストから積む」メーカーの発想を超え、高級ブランドの土俵へ
日経新聞は7月31日、「高級ブランド業績二極化」と題する記事を掲載しました。エルメスや、カルティエを擁するスイスのリシュモンが増収を確保する一方、LVMHやケリングは販売不振やブランド立て直しの影響で苦戦しており、主力だった中国市場で消費者の関心が国内ブランドへ移りつつあることも響いて、業界内の格差が開いていると指摘する内容です。
この二極化の背景には、私が「メルカリ現象」と呼んでいる構造変化があります。二次流通市場が発達した結果、消費者はブランド品を「再販価値」で見るようになりました。エルメスのような定番の頂点は中古市場でも価値が落ちず、逆に安価なファストファッションは最初から使い切る前提で買われる。苦しいのは中間です。かつて一世を風靡した中価格帯ブランドは、数年前のモデルを二次流通に出しても値が付かない。上と下は生き残り、真ん中が痩せていく。そして今回の決算は、その「上」の中でさえ、ブランドの真の力による選別が始まったことを示しています。
この文脈で私が注目してきたのが、セイコーです。時計が精度を競う道具だった時代は、クォーツを発明したセイコーの独壇場でした。しかし高級時計の世界は、精度ではなく「意味」に値段が付く世界へと変わり、技術的には優れたものを持ちながら、セイコーは長らく値段を上げられずにいた。私はかつて、セイコーグループの服部真二会長に、LVMH傘下ブランドの経営者を紹介し、彼らの価格哲学を吸収してはどうかと勧めたことがあります。メーカーの値付けはコストを積み上げて利益を乗せる発想ですが、ラグジュアリーの値付けは「顧客が受け入れられる最大の価格」から入る。この発想の転換は、ものづくり企業には簡単なようで極めて難しいのです。
そのセイコーが今、変わりつつあります。グランドセイコーを軸に1000万円を超えるモデルまで投入して高価格帯を切り開き、時計事業の収益力は世界のラグジュアリー勢に比肩する水準に近づいてきました。今年からは大谷翔平選手をグローバルアンバサダーに起用し、世界市場でのブランド発信も強化しています。日本のものづくり企業が「良いものを安く」の呪縛を超え、価値で値付けする側に回れることを示した例として、私はこの変化を心から歓迎しています。
サウジ・トルコ・パキスタンが「メッカ共同防衛協定」──NATO型条文を持つ新たな枠組みの衝撃
サウジアラビア、トルコ、パキスタンの3カ国は8月7日、聖地メッカで「メッカ共同防衛協定」に署名しました。いずれか1カ国に対する武力攻撃を3カ国すべてへの攻撃とみなし、相互に防衛することを規定するもので、ムハンマド皇太子、エルドアン大統領、シャリフ首相が署名。米国とイランを巡る中東情勢が緊迫化する中、3カ国は米国への安全保障面での依存を減らし、地域の有力国との防衛協力を強化する狙いです。
この条文構造は、NATO北大西洋条約の第5条とほぼ同じです。つまり中東・南アジアに、NATO型の集団防衛の枠組みが突然出現したということです。3カ国はいずれもスンニ派イスラム教徒が多数を占める地域大国であり、インドのメディアからは「イスラム版NATO」と警戒する声も上がっています。もっとも、サウジ側は「軍事軸や宗派ブロックの創設を目指すものではない」と説明しており、狭い宗派対立の図式だけで読むべきではありませんが、シーア派の大国イランと、米国・イスラエルの双方に対する「保険」として機能する枠組みであることは間違いないでしょう。有事にはパキスタンの核戦力が事実上の「核の傘」となる可能性まで指摘されています。
私が最も注目しているのは、トルコの立ち位置です。トルコはNATOの正式メンバーであり、その国がNATOの外側でサウジ・パキスタンと集団防衛の約束を交わした。トルコ自身は「既存のNATOへのコミットメントと矛盾しない」と説明していますが、仮にこの新協定がらみでトルコが紛争に巻き込まれれば、理論上はNATOの集団防衛義務と連鎖しかねない構造です。こうした多層的な同盟の絡み合いは、第一次大戦前の欧州を思わせるものがあり、まったく前例のない実験と言っていい。この枠組みが実効性のある同盟なのか、政治的なシグナルにとどまるのかは、しばらく注視する必要があります。確かなのは、「米国は頼れない」という前提で各国が自前の安全保障を組み始めたという潮流です。これは日本にとっても、決して対岸の話ではありません。
—この記事は2026年8月9日にBBTchで放映された大前研一ライブの内容を一部抜粋し編集しています。






