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KON1082「日米貿易交渉──40年の歴史とトランプ関税 ~トランプ関税政策と日米貿易の歴史的文脈~」

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KON1082「日米貿易交渉──40年の歴史とトランプ関税 ~トランプ関税政策と日米貿易の歴史的文脈~」

2025.05.09
2025年
KON1082「日米貿易交渉──40年の歴史とトランプ関税 ~トランプ関税政策と日米貿易の歴史的文脈~」

日米貿易交渉──40年の歴史とトランプ関税 ~トランプ関税政策と日米貿易の歴史的文脈~

概要

トランプ前大統領による強硬な関税政策は、世界のサプライチェーンと経済の安定性に深刻な影響を及ぼした。2024年の米国大統領選で彼が再び返り咲く可能性が現実味を帯びる中、私たちは過去50年以上にわたる日米貿易摩擦の歴史を振り返り、日本が今後どのようなスタンスで臨むべきかを再考する必要があります。

私はこれまでの交渉の現場に立ち会い、また政策立案や経済分析の立場から一貫して観察してきた者として、「アメリカが関税で自国産業を守ろうとしても、競争力を取り戻した産業は一つもない」と断言します。本稿では、その根拠を示す歴史的事実を、産業別に整理しながら提示し、これからの日本の交渉戦略に対する示唆を導き出します。

繊維産業における摩擦の発端(1955年〜1972年)

日米貿易摩擦の最初の火種は繊維製品でした。1955年から1972年にかけて、17年にも及ぶ長期交渉が続きました。アメリカは、日本からの低価格・高品質な繊維輸出が自国の雇用と産業に打撃を与えているとして、執拗に数量規制を求めてきました。

日本は当初、競争力のある生産体制を築いていたが、やがて繊維産業は韓国や台湾に移り、最終的にはインドネシアや中国へと移行していきました。この過程は、関税や数量規制によって一時的に輸入を抑制しても、産業は常に「より安価な労働力」を求めて動くという構造的現実を示しています。

この繊維交渉の教訓は明白です。保護主義は構造転換を遅らせるだけで、競争力の再生には結びつきません。むしろ、日本はアメリカの圧力に対応しながら、国内産業をハイテクや自動車といった次の成長分野に巧みにシフトさせる戦略的柔軟性を発揮しました。

カラーテレビ問題と数量規制(1970年代)

次に摩擦の焦点となったのがカラーテレビです。日本製テレビは価格と性能の両面で米国製を圧倒し、RCAやゼニス、GE、ウェスティングハウスといった米国企業は市場から次々に姿を消しました。

アメリカは日本製テレビに対し、13%の関税と年間168万台の輸入枠という厳しい数量規制を導入。これに対し、日本企業は現地生産に舵を切ることで対応したが、その頃には米国企業の大半はすでに壊滅していました。ゼニスだけが生き残ったものの、最終的にはメキシコに工場を移転し、韓国のLGに買収されてしまいました。

つまり、規制によって守られたはずの米国産業は一つも蘇らず、むしろ新興国の競合企業を台頭させる結果となったのです。

牛肉・オレンジ交渉と“フォローアップなき開放”(1980年代)

1980年代に入ると、アメリカは農産物の市場開放を強く求め、日本の牛肉・オレンジ市場が交渉の的となりました。アメリカは日本の非関税障壁を「閉鎖的」と非難し、半ば強制的に市場を開放させました。

しかし、実際に輸入が増えたのはオーストラリア産の牛肉でした。USTR代表のカーラ・ヒルズが「我々の役割は缶切り(can opener)であり、開けた後は商務省の責任だ」と語ったように、アメリカには開放後の販売促進やマーケティング支援といった“フォローアップ”が欠如していました。構造的欠陥が、むしろ米国産業の不振を加速させたと言えます。

自動車と部品の現地化(1980年代〜現在)

日本車の高性能と高燃費により、米国のビッグ3(GM、フォード、クライスラー)は急速に市場シェアを失いました。これに対しアメリカは日本に対し、現地生産と部品の現地調達を強く要請。日産はテネシー州に、トヨタはケンタッキー州に工場を設立しました。

その結果、92社の日本の部品メーカーがミシシッピ川沿いに進出し、現地調達率は50%以上に達しました。今や日本車は米国内で年間400万台以上が生産され、“アメリカ製の車”として扱われています。

それにもかかわらず、トランプは「アメリカでは日本車が走っているのに、日本ではアメリカ車が走っていない」と批判しました。しかしこれは事実誤認です。日本メーカーは米国に多大な雇用と投資を提供しており、地域経済の活性化にも大きく寄与しています。

半導体と技術流出の代償(1980年代後半〜1990年代)

1980年代後半、日本の半導体産業は世界シェアの過半を占め、米国はその急成長を脅威と見なしました。1986年の日米半導体協定では、日本に対して「20%以上を海外製品で調達せよ」との規制が課せられました。

しかし、当時の米国には民生用半導体の供給能力が乏しかったため、日本企業は韓国のサムスンやLGに技術を供与する形で対応せざるを得ませんでした。その結果、韓国勢が急速にシェアを伸ばし、日本の半導体産業は後退を余儀なくされました。

この「2割のための技術移転」は、日本にとって致命的な戦略ミスであり、米国の圧力が日本自身の競争力を損なう結果となりました。

「関税=解決策」という幻想

以上の歴史が教えるのは、アメリカが関税で保護した産業がいずれも復活していないという厳然たる事実です。鉄鋼、自動車、半導体、テレビ──いずれもその典型です。トランプの政策は「100年前のノスタルジア」にすぎず、実効性に乏しいのです。

一方、ヨーロッパ諸国は“質で勝負”という方向に活路を見出しています。ブランド力のある高付加価値商品──パルマの生ハム、フェラーリ、ポルシェなど──を育成することで、価格競争ではなく「価値競争」に軸足を移してきました。

日本への示唆──“歴史”を交渉の武器にせよ

私はかねてから指摘していますが、日本はアメリカとの交渉において、一度たりとも真正面から「対等な交渉姿勢」を示したことがありません。だが、いま求められているのは、唯々諾々と従うことではなく、これまで積み上げてきた交渉の歴史を“交渉資産”として活用する姿勢です。

特に農産物や食料安全保障など、政治的に脆弱な分野においても、日本は堂々と自国の制約条件や論理を提示し、交渉の主導権を確保すべきです。

結論──「サプライチェーンの理解なき保護主義」は時代錯誤

今日の世界経済は、複雑なサプライチェーンによって成り立っており、それを無視した一方的な関税政策は自国経済を傷つけるだけです。トランプのような短絡的な政策は、選挙向けのポピュリズムにはなっても、持続的な国益に資するものではありません。

日本は、これまでの経験と歴史を基に、冷静かつ論理的に交渉に臨むべきです。かつての摩擦から得られた教訓は、次の世代にとっての「交渉の知恵」であり、決して忘れてはならない知的遺産なのです。

—本記事は、2025年5月4日にBBTchおよびAoba-BBT公式YouTubeチャンネルで放映された、大前研一特別講演「日米貿易交渉──40年の歴史とトランプ関税」の内容をもとに一部抜粋・編集したものです。特別講演の全編は、下記のバナーをクリックしていただくことで、弊社公式YouTubeチャンネルにてご視聴いただけます。

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