
老朽化インフラの危機:下水道管をはじめとする社会資本の安全と効率的管理への道筋
老朽化インフラは世界中で深刻な課題となっています。日本においても、下水道管や橋、トンネル、港湾施設など、社会資本のあらゆる分野で老朽化が進んでいるのが実情です。特に大規模下水道管に関しては、耐用年数50年を超える管路の割合が急増する見通しであることが指摘されています。2025年度には全体の約4.87%にあたるおよそ380kmが耐用年数を超え、さらに20年後には約4700km、すなわち全体の6割が老朽化するとの推計があります。これほど大規模に老朽化が進むと、補修や更新にかかる莫大なコストだけでなく、道路陥没などの安全上のリスクが高まることも懸念されます。
本来であれば、都市を計画する段階で上下水道や通信ケーブルなどを一括して地中に収納し、設備管理を集中して行えるように整備するのが望ましいと考えられています。しかし実際には、水道、電力、通信などの事業体がそれぞれに独立して敷設し、縦割りの管理を続けてきた経緯があります。そのため、仮に下水道管に重大な損傷が見つかった場合でも、関連機関との連携が遅れがちになるなど、抜本的な対策が取りにくい状況です。特に道路の地下部分は、複数の設備が複雑に入り組んでいるため、突発的な陥没事故が起きたときに、原因の特定や復旧作業が迅速に進まないケースが少なくありません。
近年はドローンなどの新技術を活用した点検手法が注目を集めており、老朽管路や地下構造物を人手よりも安全かつ効率的に把握できるようになりました。これは前向きな流れですが、技術導入だけでは老朽設備そのものの補修や更新は進みません。結局、老朽化の著しい管路に集中的に手を入れ、インフラを長期的に維持するための包括的な政策が必須です。上下水道や電力、通信などを横断的に統合管理できる組織の確立も、より効率的なメンテナンスを実現するうえで重要となります。
そのためには、国や自治体レベルでの政治的な意思決定が求められます。個別の事業体ごとに問題を扱うのではなく、インフラ全体を「公共財」として捉え、必要な予算を集中投下し、改修と管理を計画的に進める仕組みを確立することが急務です。そうした取り組みが実現しなければ、道路陥没のような事故は今後さらに増える可能性が高く、社会的影響や安全面でも看過できない問題となるでしょう。
揺らぐコメ市場の安定:不足感の背景と農家の収益確保を両立する政策課題
米の市場では、政府が備蓄米を最大21万トン放出すると発表し、異例の措置が大きな注目を集めました。本来であれば、昨年の生産量は著しく落ち込んだわけではありません。それにもかかわらず、市場には「米が不足している」という認識が広がり、実際に米価が上昇したことが問題視されています。専門家の間では「誰かがまとめて買い占めているのではないか」という指摘もあり、真の需給バランスと市場価格との間に大きな乖離が生じている可能性が取り沙汰されています。
日本のコメ需要は長期的に右肩下がりで、人口減少や食生活の変化により、以前ほど米を消費しなくなっている背景があります。したがって、需給の観点からすれば、米が不足して価格が急騰するような事態は起こりにくいはずです。にもかかわらず今回のように不足感が煽られ、高値がついている状況は、どこかで大量に買い込んでいるプレイヤーが存在する可能性を否定できません。こうした混乱を是正するには、21万トン程度の放出だけでなく、場合によっては大規模な備蓄米の放出を行い、一気に市場の需給を正常化させる決断も検討に値すると考えられます。そして、その上で「実際に誰が買っているのか」を徹底追跡し、在庫状況を明らかにする取り組みが不可欠です。
一方で、農家の視点からみると、米価の上昇は決して悪い話ではありません。日本の農業政策は過去に何度も需給調整を行い、米価の安定を重視してきましたが、それが逆に農家の収益を圧迫してきた面もあります。コメ生産者にとっては、高値で米が売れることは収益改善につながりますので、今回の米価上昇を単純に問題視するだけでは農家の声を無視することにもなりかねません。
結局、需給調整と価格安定、そして農家の収益確保をどのように両立するかという根本的な議論が求められています。抜本策としては、米価が高騰し始めた段階で迅速に市場介入する仕組みや、不透明な買い占めを防止するための流通監視体制を強化することが考えられます。米は日本の主食という側面だけでなく、農家の経営を支える重要な作物でもあります。そのため、消費者と生産者の両方が納得できる形で政策を機能させる必要があります。
巧妙なネット誘導への挑戦:消費者保護に向けた事業者認定制度と規制の可能性
一般社団法人ダークパターン対策協会が、インターネット上で消費者を意に沿わない選択に巧みに誘導する「ダークパターン」を規制するため、7月から事業者を認定する制度を始めることを発表しました。このダークパターンとは、主にオンライン・サブスクリプションサービスなどでよく見られる手法で、解約手続きを極端に分かりにくくしたり、カウントダウンタイマーで購買意欲を煽ったりと、消費者が望まない契約や購入を促す行為を指します。推定被害総額が年間1兆6,760億円に上るという試算は、決して小さな問題ではありません。
実際、ネットショッピングやサブスクを利用する際に「いつの間にか有料会員になっていた」「試しに登録したはずが解約が難しくて続けざるを得なかった」といったトラブルは身近に起こり得ます。特に、インターネットや複雑な契約形態に不慣れな消費者や高齢者にとっては、事業者側の巧妙な画面設計によって思わぬ出費を招くリスクが高まります。こうした不公正な誘導を削減するためには、協会による認定制度だけでなく、行政主導の厳格な規制や立法措置が必要だという声も強まっています。
今後の課題としては、事業者が提供するウェブサイトやアプリのユーザーインターフェイスがどこまで「グレーゾーン」に当たるのか、その基準を明確に定める必要があります。また、特定の事例だけではなく、暗黙のうちに消費者を追い詰めるような手口も広範に洗い出すことが重要です。例えば、「残り在庫わずか」「この商品を〇人が閲覧中」といった情報表示も、場合によっては消費者に不必要な焦燥感を与える可能性があります。
したがって、認定制度の導入に当たっては、ダークパターンの具体的な分類やガイドラインを整備し、違反が見つかった場合には早期に是正を促す仕組みを作り上げることが不可欠です。ネット利用がますます増えるなかで、情報弱者がこうした誘導手法の被害を受けないよう、社会全体で取り組むことが求められているといえます。
停滞する地方創生への処方箋:大胆な人材活用と事業設計による地域の自律的成長
地方創生関連の事業においては、2015~2023年度に実施された292の取り組みのうち、26事業で予算の過半が執行されず国庫に返納されているという報告があります。これは、国として地方創生を前面に打ち出す一方で、実際のところは各省庁が獲得した予算を十分に活用できないままに終わっていることを示唆します。言い換えれば、「予算は確保できても、実効性のあるプロジェクト設計が不足している」という構造的問題が浮き彫りになっています。
本質的に地方創生を成功させるためには、単にお金を投下するだけではなく、地域に起業家精神をもったリーダーを呼び込み、さらに継続的に組織運営を担う人材を確保することが欠かせません。たとえば、観光地としての魅力がある地域でも、首長や地元リーダーが現場感覚を持ち、具体的なビジョンを示しながら実行に移さなければ、活性化は進みません。大学教授やコンサル企業にまかせっきりで「とりあえず立派な計画書を作る」だけでは、現場には何も残らないケースが往々にしてあります。
実際、熱海のように観光潜在力を十分に持ちながら、再生策がなかなか進まない地域も存在します。そこでは自治体のリーダー層や地元企業の協力体制が十分に整っておらず、外部からのアイデアや専門家の助言をどう活かすかという仕組みづくりも遅れています。また、企業人材を自治体が取り込み、実践的なノウハウを地域経済に還元する仕組みは、まだ限定的な試みにとどまっています。
結局、地方創生をスローガンとして掲げるだけでは意味がありません。補助金を確保しても、それを使いこなせる人材や組織体制がなければ成果は出ませんし、返納せざるを得ない資金も増えるばかりです。今後は、地域課題を事業化し、新たな産業や雇用を生み出していく「起業家的発想」を養うための教育や研修、そして企業や大学との連携による人材育成が不可欠です。そうした取り組みを地道に進めることでこそ、地方が自律的に成長していく可能性が開けるのではないでしょうか。
高校無償化は何をもたらすのか:義務教育外での公費負担が抱える課題と公立・私立格差の行方
自民・公明・日本維新の会が合意に至った高校の授業料無償化ですが、その政策目的がどこにあるのかがはっきり見えないという指摘があります。義務教育ではない高校を、なぜ公費負担とするのか、社会としてどのような教育成果を期待するのかといった大枠の議論が不十分なまま進められている印象です。
実際、東京や大阪など大都市部では、すでに私立高校への進学割合が高まり、相対的に公立高校を選ぶ生徒が減少している傾向が見られます。その結果、一部の公立高校で生徒数の確保や校内の秩序維持が難しくなり「荒れる公立校」が増えているとの報道もあります。本来であれば、高校無償化によってすべての生徒が安心して学べる環境を整え、そのうえで公立・私立間の学力や設備の差をどう埋めるかを検討するのが筋です。
しかし、今回の合意は政治的取引の色彩が強く、「どの政党がどの政策を勝ち取ったか」をアピールする道具にもなっている印象があります。無償化によって確かに家庭の負担は軽減されますが、公立高校の教育の質が向上しないまま私立に生徒が流れれば、公立の教育環境はますます厳しくなるおそれがあります。
本来は、高校教育を実質的な義務教育化に近づけるのであれば、その目的を明示したうえで、教師の質の向上やカリキュラムの充実、公立校の特色づくりなど、総合的な施策を同時に進める必要があります。授業料を無償にするだけでは、教育格差や地域差は根本的には解決しないからです。今後の追加的な法整備や予算配分にあたっては、単なる「学費ゼロ」の先にある教育の本質をどう捉えるかが問われるでしょう。
医療費負担の線引きに揺れる制度:長期治療患者への支援と財政健全化の狭間で
高額療養費制度は、医療費が極端に高額になった場合に自己負担額を一定まで軽減する仕組みで、長期治療を必要とする患者や難病を抱える方々の暮らしを支える重要な制度です。一時期はその限度額を段階的に引き上げる案が示され、医療費削減の観点から見直しが進むかと思われていました。しかし、石破政権では治療を継続する患者の不安の声を汲み取り、現行額を据え置くことも検討されると報じられています。
医療費削減は国家財政上の避けて通れないテーマではありますが、高額療養費制度が縮小されると、長期にわたって治療が必要な人たちにとっては大きな負担増となります。とりわけ、高価な薬剤を使わなければ命や生活を維持できない患者や、定期的な入院が避けられない方々にとっては、制度の変更が生死や生活の質に直結する問題です。
したがって、社会保障費の効率化を図るとしても、本当に守るべき患者層への支援は軽々しく削るべきではありません。国の財政を健全化したいからといって、医療費を一律に引き上げてしまえば、最も困窮している層や高齢者、難病患者を追い詰めるだけになるおそれがあります。むしろ、過剰診療や不適切な医療費請求など、医療制度のムダを削るほうが先決だとの指摘もあります。今後の議論では、患者支援と財政健全化のバランスをどう取るのかがより厳しく問われるでしょう。高額療養費制度の再検討では、具体的な患者の負担増がどの程度に及ぶのか、医師会や患者団体の声をどれほど反映するのかが重要です。制度改変の先に想定される影響を丁寧に分析し、必要な人が必要な医療を受けられる体制を守り抜くことが医療政策の使命だといえます。
—この記事は2025年2月23日にBBTchで放映された大前研一ライブの内容を一部抜粋し編集しています。