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KON1091「老舗焼酎蔵元/火山列島日本と噴火リスク/世界的気候変動とヒートドーム/日本の選挙と政党政策の形骸化/SNSと外国人排斥言説/国立大学病院の赤字」

TOP大前研一ニュースの視点blogKON1091「老舗焼酎蔵元/火山列島日本と噴火リスク/世界的気候変動とヒートドーム/日本の選挙と政党政策の形骸化/SNSと外国人排斥言説/国立大学病院の赤字」

KON1091「老舗焼酎蔵元/火山列島日本と噴火リスク/世界的気候変動とヒートドーム/日本の選挙と政党政策の形骸化/SNSと外国人排斥言説/国立大学病院の赤字」

2025.07.11
2025年
KON1091「老舗焼酎蔵元/火山列島日本と噴火リスク/世界的気候変動とヒートドーム/日本の選挙と政党政策の形骸化/SNSと外国人排斥言説/国立大学病院の赤字」

老舗焼酎蔵元の事業継承とブランド戦略:京屋酒造と加藤プレジャーグループの挑戦から見る、伝統産業の再生モデル

私はこのニュースに接して、深い感慨を覚えました。というのも、今回経営権が譲渡された京屋酒造の代表・渡邊真一郎さんとは古くからの知己であり、彼のつくる「亀雫 極」は私にとって特別な焼酎でした。ある寿司職人が、私の目の前で竹の柄杓から極をすっと注いだときの感動は今も忘れられません。それを機に渡邊さんと親交を持つようになり、「極」を心から愛する一人のファンとして、彼と多くの時間を共有してきました。

しかし、渡邊さんが病を患い、経営の継続が難しくなったという連絡を受けたとき、私は一抹の不安とともに、この伝統の味が失われてしまうのではという危機感を持ちました。そこで、加藤プレジャーグループの加藤さんに相談し、「Oh my God」というコラボ焼酎の継続を含め、京屋酒造そのものを守れないかと働きかけたのです。加藤さんの理解と決断により、今回の経営権取得が実現しました。

これは単なるM&Aではありません。ブランドや伝統の味を守るために、異業種の企業が手を差し伸べた一例です。私自身、営業部長(自称)として、今後も「Oh my God」を自らのネットワークを通じて販路拡大していく所存です。ラベルデザインや味わいにもこだわったこの焼酎は、芋を三種使った力作であり、飲み比べ大会でも一目置かれる逸品です。今後は数量限定・高価格帯のハイエンドブランドとして展開し、「魔王」や「百年の孤独」と並ぶ存在へ育てるつもりです。

渡邊さんのような人格者の志を、事業として引き継ぐ。そのことができたことに、私は心から感謝しています。伝統産業をどう未来に継ぐか。その問いに対して、今回の事例は一つのヒントを与えてくれていると感じます。

火山列島日本と噴火リスクへの行政対応:霧島連山・新燃岳の噴火から見える自治体の危機管理のあり方

私は火山活動のニュースを見るたびに、日本が「火山列島」と呼ばれる所以を痛感します。今回、新燃岳が約5,000メートルの噴煙を上げ、入山規制がレベル3に引き上げられました。過去にも新燃岳が噴火した際には、小林市周辺に大量の火山灰が降り、温泉旅館が一斉に休業に追い込まれるなど、深刻な影響が広がりました。私も当時の現地の様子を何度か自分の足で見て回りましたが、行政の対応の遅れが甚大な二次被害を招いた記憶があります。

「危ないときは止める、でも回復したら速やかに再開する」。本来はその判断が自治体に求められるはずですが、かつての宮崎県知事は「再開の責任」を取ることを恐れ、旅館の営業再開を許さず、経済的な損失を拡大させたと言わざるを得ません。リスク管理とは「過剰な警戒」で安心を演出するものではなく、「回復の判断」まで含めた意思決定力の試金石なのです。

今回の噴火については、今のところ学校の休校措置や航空便への影響は出ていますが、行政側の対応は前回ほど過剰ではないようです。この点は一定の進歩と受け止めています。ただし、新燃岳をはじめとする九州の火山群――桜島、諏訪之瀬島、口永良部島なども活発化しており、九州南部は一帯で火山活動のフェーズに入っていると見て間違いありません。

私はこの国の自然リスクの多さと、観光や地方経済がそれに依存している現実をどうバランスさせるかが、これからの地域政策の大きな課題だと感じています。火山とともに暮らす――その覚悟と知恵が、自治体や観光業に問われているのです。

世界的気候変動とヒートドーム・寒波の異常事態:欧州の熱波と南米の寒波が突きつける気候の崩壊と備え

私はこれほどまでに「異常気象」という言葉が現実味を帯びて聞こえる時代が来るとは思っていませんでした。ヨーロッパでは、スペインやポルトガルで気温が46度に達し、トルコ西部では山火事が発生し5万人が避難する事態に。一方、地球の反対側である南米ではアルゼンチン、チリ、ウルグアイが氷点下の寒波に襲われ、首都ブエノスアイレスでは停電が長時間続きました。

こうした極端な現象の背景には、いわゆる「ヒートドーム現象」や「南極寒気団」の影響があります。高気圧が高温の空気を地表に閉じ込めることで熱が逃げず、猛暑が続く――この気圧構造の異常が、いま世界各地で確認されています。私自身、ヨーロッパには200回以上訪れてきましたが、46度という数字は想像すらしたことがありません。冷房のない都市も多く、気候に対する都市の耐性が試されていると感じます。

同時に、日本でも「梅雨がどこかへ行ってしまった」という感覚を多くの方が持っているのではないでしょうか。気象庁は東海地方まで梅雨明けを発表しましたが、私の目から見るとその発表はあまりにも感覚とズレており、「どう考えても1週間前に言えたはずだろう」と感じざるを得ません。気象庁自身が、異常気象に対する判断を口にすることをためらっているようにも見えるのです。

このように、従来の気象モデルが通用しなくなってきている今、私たちは「気候の常識」が根本から崩れてきていることを真剣に受け止めなければなりません。温暖化という長期トレンドの中に、突発的な寒波や洪水が発生するという「変動の拡大」が特徴です。もはや「暑い・寒い」の問題ではなく、都市のインフラ、農業、エネルギー供給、そして人の健康を含めた総合的なレジリエンスの再設計が必要です。

気候変動はもはや未来の話ではなく、私たちが今この瞬間に直面している「現在のリスク」だと、私は改めて実感しています。

日本の選挙と政党政策の形骸化:政策より給付、議論なき選挙戦の空洞化

私はこの夏の選挙戦を眺めながら、「選挙とは何のためにあるのか」という根本的な疑問を感じざるを得ませんでした。各党の主張を見渡してみると、目立つのは「減税」「現金給付」「ポイント還元」といった、短期的な“目先の得”ばかり。教育や外交、社会制度の再構築といった本質的な議論は、ほとんど聞こえてきません。

日本の選挙がここまで「お金配り合戦」になった背景には、二つの構造的な問題があります。一つは、小選挙区制度によって候補者が「全国的な政策」ではなく「地元への利益供与」を重視するようになったこと。もう一つは、投票率の低下です。無関心層にリーチするには、即効性のある訴求が求められ、結果的に「減税」や「バラマキ政策」に集中するという悪循環が生まれています。

私は、日本における最大の政策課題は「教育改革」だと確信しています。第四の波、AI時代に突入した今、旧来の暗記型教育や一律の進学モデルではもはや国際競争に太刀打ちできません。それにも関わらず、選挙戦では教育の「き」の字すら出てこない。また、選挙制度そのものの改革、小選挙区制の弊害を議論する政党もありません。日本の未来を左右する問題が、争点から抜け落ちているのです。

さらに、選挙ポスターという制度自体の陳腐さも感じています。私の自宅近くの掲示板にも48人分のポスターがずらりと並んでいますが、あれだけ並べられても「見よう」という気が起きない。全国で多額のコストがかかるこの掲示制度を、デジタルに置き換えるべきだというのは言うまでもありません。候補者の政策比較や動画を一覧で見られるようなインターフェースを構築すれば、若い世代の関心も高まるはずです。

要するに、今の選挙は「手段」が目的化してしまっており、「国の方向性を決める」という本来の目的が霞んでしまっている。政党の違いすら一覧表を作らないと分からない現状は、民主主義の危機です。私はこのままでは、日本の政治が本当に空洞化してしまうのではないかと危惧しています。

SNSと外国人排斥言説の拡大:ネット世論に左右される政治と社会のリスク

私は最近のSNS上の言説を見ていて、非常に危うさを感じています。日経新聞の分析によると、各政党が掲げる公約のうち、最も多くX(旧Twitter)上で言及されたのは「外国人規制」に関するものでした。これは、食料問題や消費税減税といった生活に密接に関わるテーマを上回る勢いだったとのことです。

この傾向に、私は大きな懸念を抱いています。ネット世論が政治に影響を与える構造自体は避けられないとしても、その方向性が「外国人排斥」へと向かうのであれば、それは国の将来にとって深刻な問題です。参政党のように、あからさまに外国人を敵視する主張が支持を集める背景には、「なんとなく不安だ」という感情的な空気があり、それが過剰に政治に投影されてしまっているのです。

日本は少子高齢化が進み、労働力やインバウンド需要において、外国人の存在が不可欠な局面にきています。私たちはこれから、ますます「外国人とともに暮らす社会」をつくっていかなければならないのです。それにもかかわらず、SNS上で「外国人は問題を起こす」「外国人は危険だ」といった印象操作が広まり、それが政党の政策にまで影響している現状は、まさに情報社会の歪みと言えるでしょう。

フランスのルペン、ドイツのAfD、そしてアメリカのトランプ――いずれもSNSを駆使して「不安」と「怒り」を増幅させた結果、社会に分断を生んできた例です。日本も同じ道を歩むのか。私はそれを避けたいと強く思っています。

もちろん、移民政策には制度設計や文化的摩擦など多くの課題があります。しかし、それを冷静に議論することと、排他的なプロパガンダに乗ることはまったく別の話です。政治家も国民も、SNSの「声の大きさ」に流されず、本当に必要な社会像について思考を深めるべきです。

私は、日本が国際社会と共存する中で、開かれた価値観と多様性を受け入れ、成熟した判断を下せる国であってほしいと願っています。

国立大学病院の赤字と医療経営の課題:経営不在の大学病院が抱える構造問題と解決策

私は今回のニュースで、改めて日本の医療制度の構造的欠陥が浮き彫りになったと感じました。全国42の国立大学病院のうち、6割にあたる25病院が赤字決算となり、赤字総額は前年度比8倍の213億円に膨れ上がったという報道です。要因としては、診療報酬の改定による増収効果を打ち消す形で、エネルギー価格の高騰や働き方改革に伴う人件費の上昇が挙げられています。

しかし、本質的な問題はそれだけではありません。日本の大学病院は「研究」「教育」「診療」の三本柱を掲げていますが、その実態はどれも中途半端で、しかも経営という視点が著しく欠落しています。私は以前から「大学病院は経営を学ばなければならない」と訴えてきましたが、依然として多くの病院は「国立だから」「医師だから」という理由で、収支の健全化に対する意識が低いままです。

経営の素養がないまま、医師が病院長や理事長として采配を振るう――これは企業で例えるならば、技術者が経理や財務を知らずに会社を運営しているようなものです。実際、私の大学院にも経営を学びたいという医師の方々が多数在籍しています。つまり、医療に対する専門性はあるが、経営の基礎がないという構造は現場でも強く認識されているのです。

私は、日本の医療機関にも「経営」と「医療」を分離し、両者が協働するモデルが必要だと考えています。例えば、アメリカには「ホスピタル・コーポレーション・オブ・アメリカ(HCA)」のような巨大医療グループが存在し、経営と医療が分業され、効率的な運営が実現しています。日本でも医療法人の経営に非医師が関与できるよう制度を改め、収支責任を持った経営体制を構築すべきです。

また、日本では点数制度の影響で、病院が設備を過剰に抱える傾向があります。CTやMRIの普及率が世界一である現状は、効率性を欠く証拠です。これは経営判断ではなく、制度が歪めた構図なのです。

医療とは人の命を扱う尊い仕事です。しかし、それを持続可能にするためには、健全な経営という土台が不可欠です。私は、患者の利益を最優先にしつつ、病院経営の透明性と効率性を高めていく改革が今こそ求められていると考えます。

—この記事は2025年7月6日にBBTchで放映された大前研一ライブの内容を一部抜粋し編集しています。

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