
過去最低の英語力、世界96位の衝撃——文科省と日教組が招いた「教育の敗北」
スイスの語学学校EFエデュケーション・ファーストが発表した「英語能力指数2025」において、日本は前年から順位を4つ下げ、過去最低の96位を記録しました。これは韓国、中国、ベトナムよりも下位であり、先進国としては目を覆いたくなるような惨状です。
私は長年申し上げてきましたが、この原因は明らかです。文部科学省と日教組の姿勢に根本的な問題があるからです。日本の中学・高校の英語教師の多くは、TOEICで言えば生徒として勉強しなければならないレベルのスコアしか持っていないのが実情です。それにもかかわらず、「英語を教えるのは英語の教員免許を持った日本人でなければならない」という既得権益にしがみついています。私が90年代に提案したように、英語を母国語とする国の国語教師を日本で採用し、教壇に立たせるべきでした。しかし、日本の教員の職を守るために、子供たちの未来が犠牲にされ続けています。
世界を見渡せば、英語力を劇的に向上させた国はいくつもあります。例えばフィンランドは大学教育をすべて英語化しました。ドイツの大手企業は、英語で経営ができない人間は部長以上に昇進させないと決め、必死で習得させました。韓国も通貨危機の屈辱をバネに、徹底的な英語教育を行いました。マレーシアでは、理数系科目を英語で教えるという英断を下しました。
「AI翻訳があれば英語はいらない」という声も聞かれますが、それは浅はかな考えです。ビジネスの現場、特に込み入った交渉の場面では、微妙なニュアンスを自らの言葉で伝え、相手の感情を理解する能力が不可欠です。今の日本の英語教育は、間違いを恐れさせ、萎縮させるだけのものです。このままでは、日本人は世界から取り残された「沈黙する国民」になりかねません。文科省を解体するくらいの覚悟で改革を行わない限り、この順位が底を打つことはないでしょう。
SNS規制は「思考停止」への第一歩——国家による一律禁止が子供から奪うもの
オーストラリアに続き、マレーシアでも16歳未満のSNS利用を制限する方針が明らかになりました。子供たちを有害な情報から守りたいという意図は理解できますが、私は国家が一律に規制をかけることには断固として反対です。
かつて私がマレーシアのマハティール首相のアドバイザーを務めていた頃、インターネットの普及に伴い、同様の規制議論が持ち上がりました。その時、私はマハティールさんにこう進言しました。「国が情報を遮断し規制を行えば、国民から判断力を奪うことになる。これからの時代に強い国家を作るには、どのような情報に接しても、自分でその真偽や善悪を判断できる人間を育てなければならない。判断力のない人間を作った国は負ける」と。マハティールさんは即座に理解し、規制ではなく教育によって対応する道を選びました。
規制で守られた環境で育った子供は、いわば無菌室で育ったようなものです。ある年齢に達して突然、情報の洪水の中に放り出されれば、免疫がないためにひとたまりもありません。むしろ危険です。イスラム圏のマレーシアであっても、あるいはどのような国であっても、重要なのは「見せないこと」ではなく「見て判断させること」です。
親や学校教育の役割は、禁止することではなく、情報の波の乗りこなし方を教えることです。フェイクニュースや悪意ある情報が氾濫する現代だからこそ、それを自らの頭で見極める「リテラシー」と「自律心」を養う必要があります。安易な法規制は、親や教育現場の責任放棄を助長し、結果として自分では何も考えられない、脆弱な国民を生み出すだけだと私は考えます。
「トライアル」による西友買収が示す未来——小売業の勝敗はAIとデータで決まる
福岡を拠点とするディスカウントストア「トライアルホールディングス」が、スーパー大手の西友を買収しました。売上高4000億円規模の企業が、同規模の西友を飲み込むという驚きの展開ですが、これは単なる規模の拡大ではありません。日本の小売業界における「主役の交代」を象徴する出来事です。
トライアルは、小売業というよりも「流通IT企業」と呼ぶべき存在です。店舗にはAIカメラや決済機能付きのスマートカートが導入され、徹底的なデータ分析に基づいた効率化が進められています。かつて日本の流通業を牽引したのは、セブン&アイ・ホールディングスの鈴木敏文さんが築き上げたPOSシステムなどを駆使したモデルでしたが、今の時代、その先を行く「AIとスマホ」を融合させたDX(デジタルトランスフォーメーション)が不可欠です。
ウォルマートでさえ再生しきれなかった西友を、トライアルがどう変えるのか。これは非常に興味深い実験であり、日本の小売業の未来を占う試金石となるでしょう。彼らは「リテールAI」という概念を掲げ、古い商慣習や非効率なオペレーションをテクノロジーで刷新しようとしています。
日本の多くの小売業は、未だに「勘と経験」や「根性論」に頼る部分が少なくありません。しかし、労働人口が減少し、消費者の行動がデジタル化する中で、そのような古い経営はもはや通用しません。トライアルのように、テクノロジーを事業のど真ん中に据え、リアル店舗を巨大な実験場として進化させ続ける企業こそが、次の時代を牽引するのです。この買収劇は、日本の産業界全体に対し、DXの本気度を問う警鐘でもあります。
北海道電力・泊原発の再稼働容認に物申す——「責任なき追従」が招くリスク
北海道電力泊原発3号機の再稼働について、北海道の鈴木知事が容認する姿勢を示しました。新潟の柏崎刈羽原発が再稼働に向かう流れに乗じ、電力不足の解消や電気料金の値下げを期待しての判断でしょうが、私に言わせれば「だらしない」の一言に尽きます。そこには独自の安全哲学や、道民を守るための主体的な判断が見えません。
私は原子力発電そのものを否定する立場ではありません。安定電源としての重要性は理解しています。しかし、現在の日本の体制での再稼働には強く反対しています。なぜなら、福島第一原発事故から10年以上が経過してもなお、「事故が起きた時に誰が判断し、誰が責任を取るのか」という統治構造(ガバナンス)が全く確立されていないからです。
福島事故の際、当時の原子力安全・保安院は機能不全に陥りました。自分たちが「安全だ」とお墨付きを与えた原発が事故を起こしたため、パニックになり判断力を失ったのです。当時の菅直人首相が現場にヘリで乗り込むような愚行を犯したのも、信頼できる指揮系統が存在しなかったからです。
私は当時から、規制委員会のような平常時の組織とは別に、有事の際に強力な権限を持って指揮を執る、政府直属の危機管理組織を作るべきだと提言してきました。しかし、歴代政権はこの「不都合な真実」から目を背け、誰も火中の栗を拾おうとしません。福井県の高浜原発などの避難訓練を見ても、形式的なものに過ぎず、本気で過酷事故を想定しているとは思えません。
「他の地域が動かしたからうちも」という横並びの思考停止で再稼働を進めることは、あまりにも無責任です。万が一の際に機能する「頭脳」と「手足」を持たぬまま、ボタンだけを押すような行為は、国民の安全を賭けの対象にするに等しいのです。
消滅する離島、崩壊するインフラ——日本の「地方」は静かに死に向かっている
私は趣味のバイクで日本全国、天国以外のあらゆる場所を旅してきました。最近では特に離島に足を運んでいますが、そこで目にするのは、急速な人口減少とインフラ崩壊という厳しい現実です。
例えば、鹿児島県の甑島(こしきじま)。ここには100億円以上を投じた立派な橋が架けられ、景色は息をのむほど美しい。しかし、島の人口は激減し、今や2000人ほどしかいません。夕食をとろうにも店が開いていない、タクシーを呼ぼうにも島に1台しかなく夕方には営業終了、駐在さんですら時間外は対応不可という有様です。巨額の公共事業でハード(橋)を整備しても、そこに住む人、サービスを提供する人(ソフト)がいなくなってしまっているのです。壱岐、対馬、佐渡島といった大きな島でさえ、同様の静寂が広がりつつあります。
また、震災に見舞われた能登半島も同様の課題を抱えています。小さな集落ごとに水道などのインフラを維持しようとしても、もはや不可能です。金沢のような都市部の人々は、同じ県内でも能登の現状にどこか無関心なところがあります。
冷徹なようですが、すべての集落を元通りに復旧・維持することは不可能です。これからの地方行政は、市町村の枠を超えて合併を進め、拠点を数カ所に集約する「撤退戦」の戦略を描く必要があります。水道やガス、医療といった生活インフラを守るためには、住む場所をある程度まとめ、コンパクトシティ化するしかありません。現状維持を前提としたばら撒き型の地方創生ではなく、人口減少を前提とした「縮小の設計図」こそがいま求められています。
「台湾有事」発言に見る外交の素人——中国が「旧敵国条項」を持ち出す意味
中国が国連憲章の「旧敵国条項」を持ち出し、日本を牽制する動きを見せています。これは、高市早苗氏などが「台湾有事」に関して不用意な発言をしたことへの強烈な反発です。中国側の論理は無茶苦茶ですが、彼らにそこまで言わせてしまう隙を与えた日本の政治家の歴史認識の欠如も深刻です。
そもそも「中国は一つ」という概念は非常に複雑です。かつては中華人民共和国(北京)も中華民国(台湾)も、互いに「自分が正当な中国であり、相手は反乱地域だ」と主張し、結果として双方が「中国は一つ」と言っていた時期がありました。私がかつて台湾のアドバイザーをしていた頃も、台湾政府の部屋には中国全土の地図が掲げられ、本土の統治機構図まで用意されていたものです。しかし、時代は変わり、台湾の人々の意識も変化しています。
外交において最も重要なのは「曖昧戦略」です。特に台湾問題のようなセンシティブな事案では、アメリカでさえ「台湾有事の際にどう動くか」を明確に明言しないことで、中国の暴発を抑止してきました。それにもかかわらず、日本の政治家が「台湾有事は日本の有事」などと軽々しく口にすれば、中国に「日本を攻撃する口実」を与えることになります。
「もし台湾が攻められたら」「もし米軍基地が攻撃されたら」という二重の仮定の話を、さも決定事項のように語ることは外交的に極めて未熟です。中国の習近平体制は硬直化していますが、トップが変われば方針が変わる可能性もあります。無用な挑発で退路を断つのではなく、歴史の機微を理解した上での、したたかな外交が求められています。
英雄の仮面が剥がれる時——ゼレンスキー政権の腐敗と欧米の「ウクライナ離れ」
ウクライナのゼレンスキー大統領を取り巻く環境が、急速に厳しさを増しています。欧米諸国、特にヨーロッパは表向き支援を続けていますが、本音ではゼレンスキー政権への不信感を募らせています。その大きな要因の一つが、根深い「汚職」の問題です。
最近も、ウクライナの国営原子力企業をめぐる汚職事件で、ゼレンスキー氏の側近や、彼がかつて出演していたテレビ番組の制作関係者などの関与が取り沙汰されています。国家存亡の危機にある戦争中にもかかわらず、中枢部で私腹を肥やすような行為が行われているとすれば、支援疲れを感じている欧米諸国が「もう助けられない」と突き放すのも時間の問題です。
さらに、アメリカではトランプ氏が大統領に返り咲くことが決まりました。彼はもともとウクライナ支援に懐疑的であり、早期の停戦を迫るでしょう。それはおそらく、ウクライナにとって領土的な妥協を強いる「痛み」を伴うものです。
私たち日本人は、メディアの報道を通じて「正義のウクライナ対悪のロシア」という単純な図式で捉えがちですが、国際政治の現実はもっと冷徹で複雑です。ゼレンスキー氏が「英雄」として振る舞える時間は終わりつつあります。汚職体質という内なる敵と、支援打ち切りという外なる圧力によって、彼は近いうちに極めて厳しい決断、すなわち事実上の敗北に近い停戦を受け入れざるを得なくなる可能性が高いと私は見ています。
移民で経済成長するスペイン、人口減で衰退する日本——GDP逆転が教える真実
スペインの人口が増加し、GDP成長率でも欧州の主要国を上回る見通しとなっています。この成長の原動力となっているのが、積極的な「移民受け入れ」です。サンチェス政権は、今後3年間で約90万人の非正規移民を合法化し、労働力として組み込む方針を打ち出しました。
日本の一部には「移民を入れると治安が悪化する」「日本人の職が奪われる」といった排外的な言説がありますが、スペインの現実は逆です。労働力不足を移民が補い、それが経済全体のパイを広げ、結果として国民一人当たりのGDP向上にも寄与しています。もちろん、スペインの場合は言語や宗教(カトリック)の親和性が高い中南米や、歴史的繋がりのあるモロッコなどからの移民が多いという背景はあります。しかし、重要なのは「人が増えなければ経済は成長しない」という基本原則を直視し、政策として実行している点です。
一方の日本は、世界でも類を見ないスピードで人口減少が進んでいますが、未だに真正面から移民政策を議論することを避けています。「技能実習生」という名目で労働力を安く使い捨てにするような欺瞞的な制度でお茶を濁している間に、日本の一人当たりGDPはかつて植民地支配していた国々にも抜かれかねない状況です。
スペインの事例は、人口減少社会における処方箋の一つを明確に示しています。労働力が不足しているのなら、意欲ある人々を外部から受け入れ、共に社会を支えてもらう。この当たり前の決断ができるかどうかが、国家の衰退を食い止める最後の分岐点になるでしょう。
—この記事は2025年11月30日にBBTchで放映された大前研一ライブの内容を一部抜粋し編集しています。






